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執筆者の写真Matsumoto Saho

フランシスコ教皇の来日記 11月23日~25日

11月23日土曜 羽田空港にフランシスコ教皇到着のニュース

この日は大学の校務あり、朝から18時ぐらいまで大学に缶詰。幸い18時前に仕事が終わり、名古屋駅に駆けつけ18時半発の新幹線に乗り込む。博多で長崎駅行き最終電車に間に合い長崎着24時。ホテルにチェクインし翌日の長崎での教皇ミサにそなえる。

翌11月24日日曜9時過ぎにホテルを出て路面電車に乗るがすでに満杯、平和公園で降り、教皇の最初のメッセージがある爆心地を目指そうにも、すでに長崎県営球場への長蛇の列、ミサは午後からなのに。土砂降りで屋根のない球場でずぶ濡れになり、雨除けにお手洗い付近にてスマホで爆心地でのメッセージをYou Tubeで見て聴く。核兵器についての厳しい批判のメッセージが、60年代のキューバミサイル危機に言及して出された。

 そうこするうちに雨が弱まり、ミサ開始が近づくと晴れ間が広がった。教皇を待つ人たちは、「教皇様の奇跡」と言う。そして遂に、フランシスコ教皇が「パパ・モービレ」に乗って登場、球場は3万人以上の歓声と熱気に包まれた。「パパ様!」「フランシスコ教皇様!」


 











子供たちや赤ちゃんを抱っこしたりして、人々の熱狂を掻き立てやがてステージに上がると一転して荘厳なミサが始まった。ミサの共同祈願では教皇の回勅「ラウダート・シ」の人間も自然も神の被造物であるメッセージの引用、また教皇の母語のスペイン語、教会語であるラテン語、日本語の他に韓国語やタガログ語、ベトナム語が使用された。日本在住の外国人の人たちの言語である。ミサ中は炎天下になったが、ご聖体拝領も日本の司祭と共に行われミサは終了、教皇は退場した。ここから球場から出るのに1時間以上を要し、ホテルに戻ると電話による『読売新聞』など各新聞・雑誌媒体からのインタビュー、広島に移動するのが遅くなり、広島着は22時、フランシスコ教皇の広島での平和の会終了後だった。どちらにせよ被爆者や僧侶など招待された方々のみで会場には入れなかったのだが。夜の闇の中に浮かぶ原爆ドームを見ながら、静かな平和公園でフランシス教皇が行った様に祈った。


 











この晩は平和公園近くのホテルに泊まり、翌朝5時半に起きて7時半広島空港発の航空機で羽田空港に9時過ぎに着いた。濃霧で遅延したが、15分ほどで済んだ。

翌11月25日月曜 この日は東京ドームでのミサなどスケジュール満杯で、休暇を申請していた。羽田に着くなり浜松町のホテルに向かってチェックイン、スーツに着替えてメークも直し渋谷のNHKのスタジオに向かった。Tさんが迎えてくれて、スタジオにはKさんとNさんもいて、Tさんの質問に私が答えるインタビューの収録が行われた。夜9時のニュース、「ニュース・ウォッチ9」で使われるかも知れないが、後ほど知らせるとのこと。一旦ホテルに戻って、新聞や雑誌の電話インタビューの続き、そうこうするうちに東京ドームのミサ受付時間が近づき、慌てて後楽園に向かった。後楽園は5万人の収容人数で屋根もあるので、長崎とはまた異なる雰囲気で熱気に包まれた。長崎より良い席でフランシス教皇のミサの様子がよく見えた。ミサの内容は引用した聖書の箇所など長崎と異なり、しかし多言語である点は同じだった。しかし聖体拝領で人々が動くのを機に、ご聖体をいただくのを諦めて退場しなくてはならなかった。赤坂の首相官邸に向かうためである。ミサ後のフランシスコ教皇を安倍首相が迎えての、外交団と要人による夕べの会に招待されたからだ。セキュリティ上の理由で、教皇より1時間近く早く官邸に到着している必要があった。

 セキュリティを経て無事官邸内に入り、写真の「日本とバチカンの友好ピン」をジャケットに付けて貰った。右側の最前列にはバチカンのギャラガー外務長官や前田枢機卿、菊池大司教などが並び、二列目には在バチカンの現日本大使を含む歴代の大使、そして私は三列目の席を案内された。左側の最前列には麻生大臣、河野大臣、小泉大臣など閣僚が並んでいた。そしていよいよフランシス教皇と安倍首相が入場、教皇をかなり至近距離で見ることが出来た。安倍首相の「麻生大臣はカトリック信者で洗礼名は教皇様と同じフランシスコ」と冒頭で言って、会場が沸いた。首相のスピーチ後、フランシス教皇によるスピーチで、日本を訪問出来て大変嬉しいなどの心のこもった内容であった。着席形式の会だったので、教皇と直接話す機会はなかったが、こんなに近くでフランシス教皇を見ることが出来たことに感動もひとしおであった。お隣に座っていた生命倫理を専門とされる女性の研究者とお話しして、彼女がバチカン・アカデミーの理事であると知った。彼女に私の著書を差し上げて、今後も交流することとなった。

 その夜のNHK9時のニュースで、無事に午前中に収録した私のインタビューが放映され、「ニュース・ウォッチ9」は視聴率が高いこともあり、家族や多くの友人・知人が見ていて、翌日大学に出勤すると同僚や事務のスタッフから「見ましたよ」と。Tさん、Kさん、Nさんが頑張って下さったお陰である。テレビは緊急ニュースなどが入ると、事前録画インタビューなどが没になることもある。実際今回読売テレビからも連絡があったが、子供の誘拐犯が逮捕されたニュースで、ローマ教皇ニュースが後回しになり、私が出る話は没となった。

 出席できなかった「青年との集い」「東日本大震災の被災者と会う会」また「上智大学での講和」などは、全てYou Tubeで見た。そして私が想像していた以上に信者だけでなく、非信者をも魅了し、例えば子供のいじめや自殺問題についても当事者たちと、真剣に議論する情熱的なフランシコ教皇の姿にとても感銘を受けた。嵐の様な3日間が終わったが、またローマ訪問のさい、またお会いしたいと強く思った。














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